年末年始の間に、無性に何か作りたくなって、身近にある木でスプーンでも
作ってみようかと、図書館に行って何冊か本を借りました。

木のさじ

時間があるとこんなことを思うのですが、読んでいる間に仕事始めになり、
まぁ、、、いつもの時間が流れ出して、、ね、、、なかなか始められないわけですが。


そんな中、三谷龍二さんの「木の匙」にとっても共感できることが書いてありました。

「木のうつわとつきあう」として、少し長いですが中略しながらもご紹介します。

 手入れをしながらものと付き合うということが、このところなくなってきているように思う。携帯電話の登場以降、その傾向に拍車がかかり、店員に「修理より買い換えたほうが安くつく」と当たり前のようにいわれ、昨日まで使えたものがいきなり価値を喪失して、ゴミになり果ててしまうことに驚くのだ。
     ・・・・・中略・・・・・・
 少し前の日本の家には、無垢の木がふんだんに使われていた。だから家の床を糠袋で磨いたり、敷居に蝋を塗ったり、木とのつきあい方も自然に理解されていたのだった。それは誰でも洗濯の際、絹と羊毛と綿の取り扱い方の違いを理解しているのと同じように。
 けれど現代では、木を手入れしながら使うという習慣がいつの間にか壊れてしまった。木のものを使うとき、汚れなどに対して必要以上に臆病になってしまうのも、つきあいの経験不足ということもあるように思うのだ。木のものはまずよく使うことがいちばんの手入れになっていて、木が本来もっている樹脂分の助けもあって徐々に自然な光沢が生まれてくる。それは床など、人がよく通るところは自然に艶が出ることでもわかる。
 僕のつくる木のうつわも、特別な手入れをしなくても、毎日手が触れ、使うことを繰り返しているだけで、いい艶になってくれる。僕なんかはずいぶんラフな取り扱い方をしていて、ふだんはぬるま湯で洗って、籠に立て掛けて自然に乾かすだけ。かさかさして見えるときがあったら、植物油を塗ってキッチンペーパーで拭き取り、一晩乾かす、そんな具合だ。ただ、木は使わずに置いておいても、乾燥しすぎて油っけが抜けてしまうことがある。その時も、油分を与えて木肌を保護する。人の肌がカサカサしたらクリームを塗るのと同じことだ。木のうつわは、普段の食卓でどんどん使い、時には手入れをし、人の暮らしとともに時間を経ることで、少しずつ使う人の手に馴染み、使う人に近づいてくる。
     ・・・・・後略・・・・・   


はい、もう、心の中で首がちぎれそうなくらいにうなずいた私です。
私自身、木の家に住んで本当に気持ちがいいと感じています。
新築の頃に白いと感じた無垢の木が年々色濃くなっていっています。
たくさんの人たちに出入りしてもらって艶を増してきています。
すごく掃除が好きというわけではない(むしろ苦手な)私でも特に問題なく暮らせる家です。
(お恥ずかしながら、今のところ家の手入れに糠袋も蝋も使ったことはありません)

木の床は傷つきやすいから、汚れが取れにくいから、物を落とすと困るとか、(小さい子が)落書きしませんか?とおっしゃる方がいます。
その度に私はそのためだけに木を使うことをあきらめるのはもったいないと思うのですが、うまく伝えられなかったりお客様の考えもあったりしてしょんぼりすることもあります。

でも三谷さんの言葉を読んで、やっぱり私は私の考えで行こうと思えました。
木の家に来て「気持ちいい」「なんだか落ち着く」「ずっと居たくなる」と言ってくれる人たちの言葉を信じて、自信を持ってオススメしたいと思います。

木の家、いいですよっ。